日本初となるカジノ設立に向けて、2016年に可決されたカジノ法案(IR推進法案)。長年賭博行為が禁止されてきた日本ですが、実は世界的にギャンブル大国と認知されていることをご存じでしたか?
今回の記事では、日本で古来から行われてきたギャンブルとは?日本史から考察してみました!
日本のギャンブルの歴史
飛鳥時代
日本のギャンブルの歴史は、日本最古の歴史書である『日本書紀』にまで遡り、天武天皇が賭博を実際に見学したとの記述が確認できるようです。しかし、のめりこみすぎてしまった人々が農作業を放棄してしまったり、社会的な問題が多くみられたことから689年に持統天皇によって禁止令が出されてしまいました。今も昔も、政府による規制はつきものなようですね。
戦国時代
飛鳥時代から始まった厳しい規制下にあっても、日本のギャンブルの文化は受け継がれていきました。戦国時代に突入すると、みなさんもご存じの通り、戦いに明け暮れる生活が人々の日常となっていきます。その中で、盤・石・サイコロなど、遊技するために道具が必要となるゲームは、戦の合間に楽しむ娯楽として、手軽なものではなくなってしまいます。
そこで、侍たちの中で流行り始めたのが「サイコロのみ」を使用した博打です。シンプルに出目を当てたり、臺を使ってサイコロを隠して振り、中の出目が奇数か偶数かを当てる丁半博打もこの時代から広まっていきました。
江戸時代
戦もなくなり、平和な時代となった人々に、再びギャンブルを楽しむ余裕が生まれます。この時代になると、一部の富裕層だけではなく、一般庶民の間でも広くギャンブルが楽しまれるようになりました。流行したゲームは、
- 双六
- 囲碁
- 将棋
- かるた
- サイコロ
と、現代でも親しまれているものばかりです。しかし双六と言っても、私たちにとってお馴染みの絵双六ではなく、この当時ギャンブルとして楽しまれたのは、奈良時代から伝わる盤双六が主でした。幕府に禁止されながらも金品や衣類、食料などを賭けて賭博し、トラブルになるケースが後を絶たなかったそうです。
江戸時代後期
相次ぐギャンブルによるトラブルを防ぐため、ついに1787年寛政の改革によって、当時一番の流行であった「ギャンブル専用かるた」の製造と販売が禁止されてしまいました。
困り果てた民衆たちが、どうしてもかるたでギャンブルをしたいがために発明されたのが「花札」です。以前までのかるたは、海外から伝来した文化であったため、南蛮的要素が強い見た目でしたが、日本古来の美しいデザインを取り入れ、イメージを完全に一新させました。「これならば、かるたではあるまい!」と言わんばかりの製作者の声が聞こえてきそうですが、もちろんこれもあえなく禁止になってしまいます。その他にも江戸時代では様々なギャンブルが庶民の中で流行っては、それを幕府が禁止する、といった流れを繰り返すことが定番だったようです。
明治時代以降
開国・明治維新を機に、海外から様々な文化が取り入れられた際、トランプも同様に伝わってきました。ギャンブルの規制に取り組んでいる諸外国が多かったものの、ギャンブルでの使用でなければ問題ないという考え方が一般的であったことから、日本でも遊戯用の使用に限るとして花札が正式に解禁となりました。江戸時代から規制されてきた花札が解禁され、一大ブームが巻き起こったことは容易に想像できますね。
現代
長い歴史の中で、幾度もギャンブルを規制してきた日本政府でしたが、終戦後政府公認ギャンブルとして限られたものを開放し、現在に至ります。グレーゾーンではありながらも、街で必ず見かけるパチスロ店や、公営賭博である宝くじ・競馬・競輪・競艇などが今日まで多くの人々に親しまれています。
まとめ
今回の記事を読んで、日本のギャンブルの歴史が思いのほか長いことに驚かれた方も多いのではないでしょうか?政府による厳しい規制が続きながらも、独自のギャンブル文化を守ってきた日本。これらのことを顧みると、世界的に見ても日本はギャンブル大国と呼べるのではないでしょうか。